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表現者として発する脳内ビームを武器にする僕の仕事術

Text:向田 優
編集:トイロハ・ワークス編集部

僕はよく「何をやっているの?(何の仕事をして食べているのか?)」と訊かれる。それに答えると「え、映画?」「絵?」「講師?」。で、「何をやっていくの?」とまた訊かれる。「?の匣」だ。その匣はすぐには開けない。今は、どれも大切な仕事なのだ。

・映画演出部
・映画監督
・映像演出・制作
・ラクガキ屋(artist)
・専門学校特別講師 その他

これが僕のライスワーク&ライクワーク&ライフワークだ。正直、家賃を払うのにも必死だが、自分で選んだ道だ。「何をしている人間?」の答えが、ひとつである必要は全然ない。

誰しもたくさんの価値の源泉を持っているし、それを活かす方法もたくさんある。ただし、脳内に浮かぶイメージを衝動的でもいいので表現し、それをセルフプロデュースするセンスも必要だ。そのためにも、脳内スイッチをいくつか持っておく必要がある。

絵を描くという事は「薬を飲む」ようなものだ

絵を描き始めたのは生まれた時からと言ってもいいぐらい、ずっとペンを持っていた。一人っ子の身にとって、絵を描く事自体がある種「親友」のようなものだ。いや、「呼吸する」のと同じかもしれない。精神的にも必要な事だったわけだが、今ではイラストの仕事もしていて本当に幸せだと思っている。

小学生の時は水木しげる先生に憧れ、中学では井上雄彦先生や森田まさのり先生に影響受け、授業中は先生の似顔絵を描いていた。高校では、アート絵画を描く生徒指導教員と現役日本画家の2人の先生に受験のためにデッサンを学んだ。

「心から曝け出す表現」と「技術の高さ」に刺激を受けたし、「好きな事に真剣に向き合えない奴は、それをやる必要がない」という薫陶も受けた。今、僕が絵を描き続け、学校教育に関わっているのは当時の先生がたのおかげと言っていい。

神戸の芸術大学に入学し、映画やまんが、演劇などを学びはじめた2006年の冬、潰瘍性大腸炎という病気を患い入院する。夏に地元の友人と自主映画の撮影で張り切りすぎたのと、一人暮らしの不安と、チョコレート依存が原因だった。

病室には、松本大洋先生の影響で、常にまんがとペンと紙があった。退院後は一年間休学して実家で自宅療養をすることにした。だが、ずっと家にいる孤独感に耐えきれず、無性に映画が創りたくなり、地元の友人とホームビデオを回したりした。

ホームビデオは小学生の頃、祖父ちゃんがくれたものだ。当時はテープ収録で編集機能もないし、録画ボタンの責任もないから好き勝手にCMやゲームの真似事をしていた。ジャンプをして途中で録画ボタンを押す、場所を変えて再びジャンプし着地する瞬間で録画ボタンを押す。そう、瞬間移動だ。CGでもなく、編集もする事もなく、テープを巻き戻し、再生する瞬間はドキドキし、うまくいくとみんなで盛り上がっていた。

映画は一人では撮れないので、病室でただひたすら絵を描く。食事制限もあったので、食べられる瞬間と絵を描いている瞬間がまさに生きていると感じられる瞬間だった。言ってみれば、絵を描くという事は「薬を飲む」ようなものだ。そうして自分自身を再認識した時、病気は個性となった。

僕の場合、絵から映画にする手法は今も変わらない。それにここ数年は、脚本を読んで映画の企画書イラストやイメージボードを描く仕事もしている。今でも映画を創る時は自然と絵にしている。脳内で浮かぶものをうまく言葉で説明できない時や文字で伝えきれないときは、絵にして説明している。だから、僕にとって絵と映画は「選択肢」ではない。

共同作業である映画制作を下支えする人たち

復学してから、合同授業で照明を担当した。照明の作り出す空気感に、人の力でここまで物語の世界観が創れるのかと興奮した。それから大学を卒業するまでの4年間、映画制作に取り組んだ。

初めてのロケ現場が神戸で、大御所の監督作品だった。そこで憧れの存在となる制作部の二人に出逢った。制作部というのはロケ地における数々の申請作業や食事、交通手段の手配など、現場が円滑に進むように最初から最後まで動いている縁の下の力持ちのことだ。

出逢った制作部の一人は、汚い格好の現場スタッフも多い中、必ずボタンシャツを着こなし、常に清潔感があった。制作部はロケなどで一番地元と関係を持つ部署だ。

映画制作とは「社会の日常生活を壊すこと」とも言える。ロケのために、通学路や通勤道、営業している店舗などをお借りすることが多いが、言い換えれば日常の生活を一時的に壊すことにもなるからだ。映画を撮らせていただくためには、地元の方々には礼儀を以って接しなければならない。身だしなみも整えて、いち社会人として振る舞わなければならない。

表現者(=アーティスト)が仕事に集中してもらうためには、そういうお膳立てが必要なのだ。スタッフやキャストにとって制作部は「母」のような存在だとも教わった。だからこそ、制作部さんには感謝しかないし、その方のやり方を今でもお手本にしている。

そしてもう一人は、見た目は正直チャラく見えたが内面は熱く、人の悪口を一切言わない兄貴分的存在だった。生意気な人にも頭を下げるし、弁当の生ごみを手で分別するような人だった。キレたら絶対喧嘩は強いと思うが、その人の姿がかっこよく見えたし、何よりも大御所の諸先輩方に気に入られてる姿も気持ちよかった。人として素直である事が周囲に気持ちよく仕事をさせていたのだ。

全く存在しない世界の中に全く存在しない人たちを映し出す組織はやっぱりカッコよいと思うのだ。脳内イメージをきちんと脚本化し、そこから美術や衣装という世界が動き出し、照明という命の光と影が加わり、そして演者が心のままにいくつものスイッチを入れて演じ切る。

その裏ではお金やら政治やらの問題はあるのだろうけれども、懸命にモノを作る人たちがいて、エキストラの方々のお力添えや、赤灯をもって交通整理する制作部の姿があって、RECボタンを押す事が出来ている。そして、その映画を観てお客様が楽しんでくれる。なんて夢のような組織なんだ、と思う。

誰でも「映画が撮れる」わけではない

少し、僕が仕事している映画業界の話をしておこう。

現在、映画やドラマ、ネット配信型など、数多くの作品が撮られ、さまざまな媒体で発表されている。スマホはいまやスクリーンだ。配給会社の企画はもちろん、スポンサーありきの作品、またはアイドルや2.5次元劇、朗読劇などをベースにした作品がたくさんある。映画業界だけでなく、CMや自主映画出身の監督も珍しくない。

今は誰でも映像が撮れる時代だ。大型電気店に行けばカメラが手に入り、すぐにでも撮影できる。スマホひとつでも映像作品は創れる。編集ソフトも簡単に手に入るし、YoutubeやSNSで配信するという映像表現もある。

でも、だからこそ、映画という媒体は難しい。当然、技術だけでなく、プロデュース力、演出力が必要だ。誰でも撮れるとはいえ、誰でも「映画が撮れる」わけではないからだ。映画が撮れるから偉いというわけでもないが。

媒体を問わず作品の制作量が多いために、映画業界が人材不足に陥っているのは事実だ。低予算で過酷なスケジュールでの仕事であることも関係しているのかもしれない。

映画は専門職の集合体で作品を制作する。かつては見習いから助手といった体制が取られていたが、最近は直接、撮影監督や照明技師、美術監督が、下積みをしていこうとする学生や若手を指導してるスタイルもよく見る。当然、会社に所属しているスタッフも多くいる。どの部署でも下積みをしていく。

撮影部は撮影監督の元に、撮影監督をアシストするチーフ、ピント、機材管理とさまざまな役割を担うスタッフで組まれている。フリーランスも多くいるが、撮影会社に所属しているスタッフもいる。高価な機材を担ぎ、冬山にも登るし、海中にも入る。最近では合成シーンも多用されるが、撮影開始から終了まで、撮影が円滑に進むよう常に緊張感を保っている。

照明部も照明技師の元にチーフがおり、撮影部と露出などの連携を取り照明機材を組んでいく。電圧やロケ場所の配線状況も把握し、場合によってはイントレやクレーンなど高い配置からの照明設置もある。光量の大きなライトも使えば、細かい仕込み照明も組む。時間はかかるが、照明が入るか入らないかで映像のクオリティは明らかに違う。そこが素人とプロの違いだ。脚本から写すべき像を読み取り、監督や美術のイメージに合わせて光と陰を演出する。そして、その空気感を撮影部が捉える。

美術監督は映画の世界観を構築し、スタジオやロケセットを監督する。時代背景や映画の世界観を産み出す魔術師でありアーティストでもある。各部ともそうだが、ここも予算との闘いがある。その中で、配給会社や製作会社が持つスタジオやロケ地で、いかに撮影できる状況までにプランしていくかが腕の見せ所だ。

大道具は何もないところに部屋や建物などを創ったり、そこに足したり引いたりして撮影がしやすい環境を組む。装飾部はその中に必要となる装飾物を飾っていく。必要であれば看板も作成する。ほぼ建築業者のようなものだが、それだけにセンスも必要だ。そのために、その映画の時代背景や職業など勉強する。大きな作品であれば倉庫もあり、そこにさまざまな物が眠っていたりする。一から創るものもあるが、活かせるものは活かしていく。小道具や持ち道具も用意するし、演出部との連携が必要とされる。登場人物が持つものがあれば、衣装部とも連携している。

演出部は、監督のイメージを引き継ぎ、現場が円滑に進むように動いていく重要なポジションだ。助監督は各部のトップと連携し、スケジュールを組んでいく。セカンドは衣装部、役者周りをしつつ現場進行をしていく。サードやフォースはカチンコや持ち道具、小道具などの把握をしていく。エキストラの演出もしていく。

スタッフの説明をし出すとキリがないが、こんな風にたくさんの人たちが関わって映画は制作されている。そして、映画を創るにはやはり好きでなければ保たない。ハードなスケジュールの中にも、やはり映画が持つ力というものが存在し、その力に魅力がない限り、撮れない。

その土地の空気感を身体で知る事の大切さ

僕がロケする時に大切にしている事がある。ロケハン(撮影する場所の下見準備)や撮影期間の前に、必ず数回は個人的にロケ地に足を運ぶ。そして、その土地の空気感を身体で知る事を意識している。

その街の店舗や通行している地元の人たちの格好や仕草、道の外れの様子やそこに流れる音など、そこで営まれる生活は日や時間によって違う顔を覗かせる。

僕ら、ロケ隊は、その地に日頃と全く違う空気を持った人間として立ち寄ることになる。観光や食事ならいいが、映画制作だと先にも書いたが日常生活を壊す可能性だってある。普段、見たことのない照明やきれいな役者たちが現れるからだ。だから、あらかじめその土地の空気感を知っておくのは大切だと思っている。

2017年の夏、地方を舞台にして映画を制作した。僕が助監督をさせていただいたのだが、数ヶ月前から準備に入り、その地域の方々と何度か食事し、地元の高校生とも交流させて頂いた。もちろんお酒も酌み交わし、その地域の良いところや地元民しか知らないお店を教えてもらったりした。

そうすると、いざ撮影となった時に、エキストラで参加してくださる地元民の方やロケ場所を貸してくださる企業の方々が「助監督(僕)がおっしゃるなら協力する」と快諾してくれた。とても嬉しかったし、そのぶん責任も感じて、より良い映画になるよう動いたのはいい経験だった。実は今でもその地に通い、率先して関わってくださった方々と飲みながら、映画のPRなどしている。

若者という未来人にとっての脳内ビームの交信スイッチとは

講義する機会をいただいてるからか、僕は若い未来人、特に表現を仕事にしようとしている子たちに興味がある。さまざまな環境で出逢う学生たちは貴重な存在だ。まんがを描きたかったけれども今は映画を創っている子や、逆に全く絵を描いていなくて大学から描き始めデビューした子もいる。中には役者をしながら映画を撮る子もいる。

上の世代からすれば、今の子たちはまるで宇宙人のようで、ビームを発する狂気さを感じるかもしれない。それでも呼吸の合う場所に居合わせたり、リスペクトする人と出会ったりした瞬間、より具体的な表現ができる。相手にちゃんと伝えようとするからだ。

自分を理解する事で、セルフプロデュースも出来るようになるし、脳の中にいつもの自分と、作家である自分、プロデューサーである自分というスイッチを持てば、より面白い仕事ができる。

自分のスタイルを構築させる匣はまだ「?」のままかもしれないが、価値の源泉を持つ彼らと今後仕事していくのだと思うと、楽しみで仕方がない。そして、いつか、彼らの描くまんがや衣装で映画を撮りたい。

もちろん、僕にすれば映画業界で仕事を続けることがベストだが、何らかの事情でこの業界に居続けられなくなったとしてもこれだけは言える。「映画を撮ってきた」事は武器になる。演出ができる、衣装や美術を考案できる、ロケ申請ができる、音楽ができる、何より脚本が書ける、読める、は最大の武器だと思う。

だから、自分の武器を活かそう。表現者としての脳内ビームを発していこう。SNSでも、紙でも、音楽でもいい。自分から発していくのだ。自分をブランド化し、ファンを作っていこう。そうして、求めてくれる数に手を合わせ、感謝し、期待に応えられる表現者でありたいと思う。

物語がなるべくしてなるように仕向けること

僕は1年のうち4ヶ月は映画業界で仕事をしている。それ以外は絵を描き、講師や映像の仕事をしている。今は絵の活動もしながら、自身の映画の編集も進めている。

この作品は、未熟者(=孤独と戦う若者)の話。劇中に女子高生の祖父が登場するのだが、演じてくださったのがプロデューサーのお父様であり、昔、生放送ドラマを手がけていた大ベテラン、つまり僕らの大先輩だ。ご高齢にもかかわらず、最期の作品だと笑いながら出演してくださった。そんな粋な背中に涙が出た。

劇中でその祖父は亡くなるのだが、主人公やその母にとって、彼の存在がとても偉大である場面を描いている。僕がそのシーンを書いたのは、数年前に火事で亡くした祖父への想いがあったからだ。そう、小学校の時にホームビデオをくれた、あの祖父ちゃんだ。

最近、「なるべくしてなる」と思っている。「こうありたい」という軸さえ持てば大丈夫な気がする。なるように物語はなっていく。そう仕向けるのも自分だと信じている。

また、僕はペンを手にし、ノックし、白紙に絵を描く。新たな表現が誕生する。一生懸命、生きていこうと思う。

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