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リモートワークで感じたジレンマと限界〜住居も職場も、そして自分も柔軟に

Text:羽根則子
編集:トイロハ・ワークス編集部

よく考えたら、それ以前もリモートワークだったんですね。物理的な距離が近かっただけで。そんなお話です。

きっかけは東日本大震災だった

私がそれまでの約20年、居住地として、そして仕事の拠点としていた東京を離れて福岡に移ったのは、2011年の夏でした。勘のいい方はピンときたかと思いますが、きっかけは東日本大震災です。

地震が発生し津波が襲いかかった2日後の3月13日(日)の最終の新幹線で、実家のある山口へ身を寄せました。というのも、翌週の予定が1件を除いてキャンセルになったことと、ちょうど仕事の内容が自宅作業に移るタイミングだったからです。

その後、3週間ほど実家に滞在して目の前の仕事はこなし、東京に戻った時にすっかり生気を失ってしまった街にショックを受け、そもそも街も人もエネルギッシュなところが好きな私は、これは東京を離れるタイミングかも、と直感的に感じたのです。

ツイッターはすでに世の中に浸透しており(私自身はアカウントのみ取得の開店休業ですが)、Facebookも使い始めていて、マスメディアや大手広告代理店主導の情報発信や販売促進は大きく曲がり角に来ているかもしれない、であれば住むところはどこでもいいのでは、とぼんやり感じていたのもこの頃でした。

私の生業は、出版物やウェブサイトの、広告含め指揮だったり、編集だったり、執筆だったりで、フィールドワークとして近年はイギリスの食研究家としての側面もあります。

おもな収入源である前者の仕事は、具体的には書籍や雑誌を制作したり、タイアップ記事や企業の冊子を作ったり、ウェブサイトに寄稿したり、おもに「食」の切り口で媒体の制作に関わっており、2001年からはフリーランスでやっています。

東日本大震災から3週間、東京を離れても滞りなく仕事ができたこと、東京でなくてもいいのかもなとぼんやり感じていた時期が一致し、震災から4カ月後、福岡に生活の拠点を移しました。福岡には縁もゆかりもありませんでした。

当初目指したのは複視点のプロ

では、なぜ福岡を選んだのか。都会のアグレッシブさが性に合っている私にとっては、ある程度の規模の街で政令指定都市レベルの規模のところでないと難しいだろうと感じたことと、生活の拠点こそ移してもクライアントは東京なので、必要に応じて東京に行かなければならないだろう、ということ。であれば、空港へのアクセスが便利なところがいい。実家の山口と近く、出張で訪問したこともあったので、大ざっぱではありますが地の利があったことも、少なからず福岡を選んだ理由です。

その頃、食の専門誌の外部編集スタッフもしていた私は、仕事をお願いする立場でもあり、関西や名古屋は在住の方にお願いするのですが、それ以外のところとなると、ほとんどの場合、東京から出向いていました。

現地にライターなりカメラマンなりがいないわけではありません。ただ、視点が違ってくるんです。東京で作り全国に伝える、ということは、その地方の視点に立脚し、そこをベースにしている方とは視点がずれているんです。

たとえば餅。大きく、東日本は切り餅であるのに対し、西日本は丸餅です。西日本のエリアであれば、丸餅前提で話を進められますが、全国向けとなると、まずは丸餅そのものの話から始めなければならない。

単視点でなく、複視点が必要になります。けれども、そういう人材がいない。そのポジションで仕事ができないかな、と思ったわけです。(念のため補足しておきますと、2019年現在は違います。2011年当時は今ほど情報通信機能が発達していなかったので、物理的に行き来していないと、そういう視点を持つのは相当困難でした)

そうして、実際、外部編集スタッフとして携わっていた食の専門誌をはじめ、地方発ライターとして新しい媒体でも仕事をするようになりました。ほかにも、福岡に引っ越したことを知った知り合いから、旅行ガイド系の仕事もいただくようになりました。

食の専門誌では、具体的な取材となると東京にいないと具合が悪く、その場合は現場の取材はライター、カメラマンにお任せし、私は編集に専念しました。また、遠隔でも無理なくできる、アンケート調査を紐解いたり、注目の輸入食材をインポーターにヒアリングするといった案件を担当しました。これは出版社の方の気遣いがあってのことで、今でも深く感謝しています。

ラップトップとネット環境さえあれば、仕事のおおかたはどこででもできる

白紙になったことをきっかけに

ところが、流れはある日突然変わります。それぞれはまったく関係がないのに、重なるときは重なるのです。2012年3〜4月、福岡に移って半年経った頃、つき合いのあった出版社で変化が起こり、それに伴ってメインの仕事の発注主を失いました。

そう聞くと何か失敗をしたのでは、とこちらの落ち度を疑ってしまいがちですがそうではなく、出版社の株主が変わり編集部のスタッフが知らない方々に総入れ替えになり、担当の方が人事や総務といった制作とは畑違いの部署に移られたり、退職されてまったく別の職に就かれたりということが一気に起こりました。

私たちのような外部スタッフは対会社ではなく対担当者と仕事をするので、担当者の方が制作の場を離れられるということは、こちらへの仕事が途絶えることを意味します。引き継いでいただくこともありますが、これまでのペースで同じように仕事を継続できることは稀で、いったんは関係がなくなります。

白紙になったな。おつきあいのあるすべてのところではなかったのですが、それらはその当時、収入源の大半を占めていた会社で起こったでした。さて、どうする?

移住先の福岡の仕事をするには、半年では地元の感覚もわかっていません。つきあいのある会社に仕事しましょうよと言うには東京は遠く、確かに移住した当初は全国向けの視点で福岡を取り上げることができるのではないかと思ってはいたのですが、むしろ自分ならではのこと、自分だけの強みを確立したい、という強い思いがむくむくと湧いて来ました。

ジェネラリストではなくスペシャリストに

それが「イギリスの食」でした。

それ以前にも何度か訪問し、2000〜2001年にかけてイギリスに住んでいた私は、この国がフーディーな国になっていく様子を目の当たりにしたことから俄然興味を抱きました。その後、現地のクッカリースクールにも行ったのですが、あくまで自分のフィールドワークであり、それがどう仕事につながるのか、果たして仕事になるのか、まったく想像もつかないものの、コツコツと情報を集めたり、習得したレシピを再現したりはしていたのです。仕事になってもならなくても、時間はたっぷりある。なので、目の前のできることからやろう、と。

いくら知っていても、知っていることを公にしないことには知らないのと同じです。名刺に「イギリスの食研究家」と入れるなどして看板を掲げ、まずはそれまで気が向いたときにポツポツと投稿していたブログを、毎日記事を書いて投稿しブラッシュアップすることにしました。

すると、面白いことが起こりました。ヴァージンアトランティック航空のウェブサイト(日本撤退に伴い現在は閉鎖)でイングリッシュワインについてのコラム連載を筆頭に、イギリスに関するFacebookヘの寄稿、講座やイベントでの登壇などの話をいただくようになったのです。

そんな中、いったんは関係が途切れてしまったかのように思われた出版社で、実はちゃんと引き継ぎが行われていて、新しいご担当の方々と仕事をするようになりました。その方から書籍企画を相談されたので、温めていた内容を話すと興味を示してくださり、監修をお願いしたい方に一緒に会いに行ったりもしました。

そうして、いざ企画を進めようとなったときに、監修の方にお引き受けいただくのが難しい事態が発生しました。暗礁に乗り上げたように思えたその時、担当者が言いました。「羽根さんが著者で、イギリス菓子本を作りましょうよ」。

自著を自分でダイレクションする

びっくりしましたね。私が提案していた企画とは違うものでしたので。それまで書籍の仕事は、もともと編集プロダクション出身なので、裁量を任されて丸ごと引き受けたこともあったのですが、制作を丸ごと引き受けるのは時間も手間もかかるんですね。

なので、2000年代半ば以降、レギュラーの仕事をいくつか抱えていた私は1冊丸受けするにはマンパワーが足りず、出版社の担当の方と相談して、企画提出や骨子、監修の方の選出など軸となる部分の作成、取材、執筆、校正とライターとしての範疇の仕事の部分は引き受け、それ以外の進行管理やデザイナーやカメラマン、監修者とのやりとりは編集部の担当の方にお任せするスタイルを取っていました。

しかし、丸ごと引き受けて欲しい、それが先方の希望でした。これはチャンスです。引き受けなければ次はない。冷静に考えればいけない場面だったかもしれませんが、やりたい気持ちが先走り、何も考えず二つ返事で「やります!」と答えていました。

遠隔で書籍を丸ごと制作

引き受けた後でいろいろ考えた結果、菓子製作も自分ですることにしました。レシピを渡せばプロは作ってくださいます。でも、食べたことのないものは、これで合っているだろうか?という疑問を抱くことになり、そういう感情は不思議と仕上がりに出てくるものです。なので、いくら稚拙でも自分で手がけることにしました。その撮影も福岡で行うことにしました。

しかし、デザイナーさんの事務所は東京ですから、最低限、メインとなる打ち合わせは東京で行う必要があるし、校正の最後の色の確認は時間がない中で行うことがほとんどなので、これも東京です。結局、手探りではありましたが、問題点をクリアにし、東京に行ってすること、自宅でもできることを明確にし、遠隔で裁量を任されて初めての本を作りました。

そうして、企画、構成、執筆、スタイリング、菓子製作(撮影とデザイン以外)にいたるまで、がっぷり取り組んでできたのが、初の自著ともなった『イギリス菓子図鑑』(誠文堂新光社)です。

自著『イギリス菓子図鑑』(中央)と、台湾語版(左)、遠隔で制作指揮を務めた『ドイツパン大全』(右)

「できる!」という確信が最初からあったわけではありません。むしろ、リモートワークで書籍を丸ごと手がけるなんて、考えたこともありませんでした。でも、やりたい! やる! そのためにどうするか。それを突き詰めた結果でした。

私以外のスタッフはみんな東京

この『イギリス菓子図鑑』の好評が後押しして、ドイツパンの書籍企画が通りました。『ドイツパン大全』(誠文堂新光社)は、デザイナーだけでなく、監修者、カメラマン、要するに私以外はみんな東京という陣営での制作でした。

私は裁量を任された制作指揮と編集統括という立場ですから、撮影にも立ち会います。監修者、カメラマンとスケジュールをすり合わせ、決まった期間に集中して行う、というやり方に協力してもらいました。とはいえ、数点はこぼれるもの。撮影がほぼ終わって様子もわかってもらっているし、「こんな感じで」というのを伝えて、現場を任せたこともありました。

イギリス菓子図鑑』『ドイツパン大全』の流れで、2018年には5月、7月、9月と隔月刊発刊の書籍制作を行いました。これら3冊とも私以外はみんな東京のスタッフで、たとえ物理的に近いところにいたとしても、そもそもの制作量としてなかなかの重労働です。

「まあ、なんとかなるでしょ」。一言で言うとそういうことなのですが、頭を使うということです。自分でないとできないこと、人に任せられることを明確にし、打ち合わせや撮影をうまくスケジューリングする。もちろん予算がありますから、そこも考えながら、なんとか進めるわけです。結果、無事3冊とも世に出すことができました。

やればできるよ! 遠隔でもできるのよ!

校正に必要な道具類(アナログです)

リモートワークのジレンマと限界

しかし、同時に、遠隔での仕事に限界があることを思い知らされます。

私の場合、書籍の仕事は企画提出から関わることが多いのですが、面白い企画は会議の場で出てくるわけではありません。むしろ、ちょっとした会話の中で、「あっ、これ!」ということが多いのです。そうしたヒントやアイデアは、例えば撮影の後に一緒にご飯を食べに行った時や、関連イベントで同席した時に、半分は仕事だけど半分は仕事ではない状況で交わされる会話に端を発することがよくあります。

現在の私は、最低限行かなければいけない状況でしか東京に行っていないので、なかなかそういう余裕がない。情報は足で稼げというように、企画も足で稼ぐものなんですね。なんだかんだ言って、東京の情報の集中度はレベルが違います。ちょっと見ておきたい展示会やイベント、お店になかなか行けないジレンマがつきまといます。声をかけていただくところであれば、なおさらです。

東京に行く頻度が、移住した当初は3カ月に一度程度だったのが、現在1カ月に一度、場合によっては二度行くことも少なくありません。おまけにふと見れば、スーツケースが出しっぱなしになっています。これは、どう考えてもまともな状況ではない。

「自分がしたい仕事、求められている仕事は何だろう?」

大枠でやりたいことがある。でも、私の場合、それに向かって一直線ではないんです。やりたいことの可能性を模索しながら、自分の技術や能力を提示する(私の場合は、出版物など世に出たもの、になります)。そこで舞い込んだ企画に縁があると思っています。なので、基本的には流れに抗わない。

自分の適性は自分が一番わからないものです。他者が私を引き上げてくれることは大いにあり、そのおかげで今があると実感しています。そんなことをつらつら考えると、今の私は「新しい切り口の食関連の書籍を全国(そして世界)に届けること」がしたいんだ、と思い至りました。

ローカル視点でローカルが商圏であれば、住んでいるその地域で仕事をするのがベストでしょうが、私の場合は、少なくとも日本全国という商圏を目指しています。そして出版の仕事の場合は、出版社が東京に圧倒的に集中しているという現実と、スタッフもみんな東京という現実があります。

住居も職場も、そして自分も柔軟に

住むところと仕事をするところは必ずしも一致しなくてもいい。そう思って今まで仕事をしてきたし、実践もしてきたけれど、関わっている仕事の内容が変わると状況も変わります。これまで遠隔でできたのはスタッフのみなさんの協力もあったからこそであり、それに甘えてばかりもいられません。

本は物理的な商品でもあるので、紙質、色味、ページをめくったときの感覚などの確認は、同じ場所で膝を突き合わせてやるのがいいので、これらは打ち合わせでまとめて行います。ですが、遠隔地にいるとちょっと何かあったときに駆けつけて確認することができません。

撮影時の背景や食器を考えるのも、カメラマンやデザイナーと一緒にホームセンターや店舗へ行って認識を確認したいのに、それもできないことがほとんどです。直接でなく、画像を送付したり、文字や口頭でのやりとりだけでは、どうしても不安が残るのです。

この、もどかしさ。

そもそも移住してメインに据えようと思っていた全国視点で福岡を切り取る仕事もあまりやっていませんし、こちらは代わりとなる人はいくらでもいるでしょう。それよりも、指名されたり、持ち込んだ企画の全国(そして世界)向けの書籍やプロジェクト企画に俄然魅力を感じています。であれば、東京に戻った方がいい、東京に戻ろう、というのが今の私の心境です。

移住となると、ずっとそこに住むということが前提に考えられがちですが、人は変わります。状況も変わります。仕事の内容が変わることもあれば家族など周囲の人たちも変わります。その時々に応じてよりベターなところに住めばいい、というのが私の持論です。

ただ、東京に戻ろうかなと思っているものの、「これは!」と心を動かされる企画に出合えば福岡に居続けるでしょうし、面白い企画が舞い込んでその地に住んだほうが仕事がやりやすいのであれば、そこに移るでしょう。住むところは、神戸でも松山でも館林でも、もっというとジャカルタでもカラチでもグラスゴーでもいい。要はその時に自分が気持ちよく仕事と生活ができれば、どこでもいいのです。

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