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紅白出場を本気で狙う「歌ってしゃべれるホームページ屋」の仕事術〜思いついたら即実行!トライ&エラーで楽しんでいこう(前編)

Text:原野史朗
編集:トイロハ・ワークス編集部

昭和38年生まれの55歳。人呼んで「歌ってしゃべれるホームページ屋」SHIROWです。株式会社SHIROWで代表取締役をしてますが、この会社の社員は僕ひとりで資本金は1円です。なんだかんだで10年も続いているこの会社。金もなけりゃ資格もない、コネもなけりゃ根気もない。そんな僕でも、毎日毎日新しいビジネスを考え、試行錯誤を繰り返しながら生きてます。

たった3つの特技だけで生き延びた僕の人生を聞いてください。

すべて失くして見つけたモノ

サラリーマン時代は、大阪で建設系コンピューターソフトの営業をしていました。バブルで日本中が盛り上がってた頃です。(実はハジけてるのに気づいてないだけ)毎月2,000万円のノルマをこなしていた営業部長の僕は調子に乗って、同じ会社の役員同士で新しい会社を起ち上げました。

今思えば、な~んにも知らず、なんも分からず。わずか、数年で自転車操業に陥りました。ギクシャクした人間関係と、多くの借金を抱えて、自己破産。そして倒産。それまでの貯金も、家も全部失くしました。とはいえ、家庭もある身でしたので、落ち込んでいる暇もなく、食い扶持を考える必要に迫られました。

途方に暮れている時に、知人から「コンピューター屋におったんやったらホームページ作られへんの?」と問い合わせをもらいました。実は、Windows95がリリースされた年に、パソコンを購入して独学でインターネットに接続、えっちらおっちらHTMLを勉強して自分のホームページを作った経験がありました。

「できますけど」なんて安請負し、「製作費いくら?」って聞かれたので、「3万円でどうですか?」って話したら、「え?!これ3万円で出来るん!?ウチが5万円で仕事とってくるから3万円で作ってぇや!」と言われ、あれよあれよという間に100件以上のホームページを作らせていただきました。ホームページ屋SHIROWの誕生です。

実はサラリーマン時代は、仕事をしたらなぜお金を貰えるのか?なんて考えたこともなかったんです。自分たちで経営してる時ですら、です。この時に、初めて気が付いたのは、

「困った人がいて、それを助ける」ことでお金がもらえるってことでした。

そんな当たり前のことに気が付くのに40年近くかかったんですよね。

商品は自分自身

最初はホームページが出来ただけで大喜びしていたお客さんでしたが、そもそも何のためにホームページが要るんやろ?誰か見てくれてるんやろか?これで売り上げが上がるんやろか?など、ホームページの実用性を考える時代になってきました。「おっ!みんな困ってるな!?これは助けなきゃ!」ってことで、アクセスアップさせるための手法を研究・調査・実験しました。

検索エンジン(当時はYahooが主流)に上位表示させたり、懸賞を企画してメールアドレスを収集しメールマガジンを送るなど、今では当たり前の方法も当時は手探りで試したものです。

ただ、そんなことをやってる人たちがそもそも少なかったので、どれも非常に効果的で、みるみる結果が現れました。ホームページを作るだけではなく、毎月のアクセスアップやアクセス状況の調査などを月額2万円でコンサル契約するようにしました。これも、当時は珍しかったようです。金額に関しても、1万円から5万円の月額を試したのですが、お客さんも感謝して払える金額で僕も感謝して価格以上のサービスができる金額が月額2万円でした。この契約は、10年以上たった今でも続いている会社があります。

困った人がいる時に、僕が出来ることでお役に立つ。そう、自分自身が商品であることに気が付きました。そこで、会社名「office SHIROW」で創業しました。売っている商品は「SHIROWがあなたのお役に立たせていただきます」です。

SHIROWを徹底的にブランディング

本名は「原野史朗」と言います。ただ、今では僕の苗字を知っている方はごくわずかです。みなさん、「しろうさん」って呼んでくれます。実は、これわざとそう仕向けたんです。

中学生からギターを始めて、若いころからバンドや弾き語りで音楽活動をしてたのですが、その時の芸名が「SHIROW」でした。商品が自分自身だと気が付いたので、商品名「SHIROW」を徹底的に覚えてもらおうと考えました。会社名はoffice SHIROW。黒いハットに、ギターを抱えた写真を名刺やホームページに入れました。

そんなある日、地元垂水のお祭りで歌ってた時に、同じ年の方と出会い意気投合しました。神戸商工会議所の垂水所長さんでした。ホームページ屋が珍しかった時代に、ステージで歌ってる僕が、えらい面白かったらしく、神戸商工会議所主催のセミナーで講師を依頼されました。内容はホームページの話だし、人前で話すのには全く抵抗がなかったので、快諾させていただきました。

当日、会場に行ってみてびっくり!?受講者100名くらいの大会場!?長年バンドのフロントマンとして歌ってきたので、お客さんのハートを掴むのは得意中の得意です。おかげで、初めてのセミナーは大好評で、会議所さんからも次々とセミナーの依頼をいただきました。

しゃべれるSHIROWの誕生です。

ただ歌える場所が欲しい

音楽はあくまでも趣味なんです。それでお金をもらおうとか、プロになりたいとかじゃなく。

大阪で会社が上手くいかなくなった時に、自分に自信が無くなった時期がありました。ある日、意気消沈してそのまま家に帰るのもいやになって、JR神戸駅でふらりと下車しました。そんな時に、駅前でギターをかき鳴らしながら歌ってる若者を発見。遠目に、その歌に耳を傾けてました。

僕も、三ノ宮のパイ山で路上ライブをやってた時期がありました。当時は、日本人で路上で歌ってる奴なんていなかったからね。仕事に追われて、歌うことなんてすっかり忘れてたんですが、駅前で歌ってる彼に、ギターをお借りして歌ってみたんです。

忘れもしない「Unchained Melody」です、映画ゴーストでおなじみの。そしたら、一人二人を足を止めてくれて、歌い終わったらパラパラと拍手をしってくれたんです。「あっ、俺もまだまだ捨てたもんじゃないやん」少しだけ自信が蘇りました。

数日後、自宅の近所にあったライブハウスで飛び入りで歌える日があるという情報を聞きつけて、ギター片手に伺いました。腕に覚えのある連中が集まる中、新参者の僕は一番最初に歌わされました。2曲ほどだったと思います。みんな拍手をくれて、話しかけてくれました。店のオーナーからも、月一回ウチで歌わないか?と嬉しいお声がけもいただきました。

今では伝説となった舞子にある「コズミック・カウボーイ」という店です。この店で毎月歌わせていただきました。満席の時もあれば、ガラガラの時もあって。それでも歌える場所があるのは、あの頃の僕の心の支えになりました。

しかし、それから数年、お人よし過ぎる夫婦で経営していたコズミックカウボーイが経営難に陥ります。ミュージシャンの応援も虚しく閉店が決まりました。

歌いたいやつ集まれ!!

今のライブハウスの状況はこんな感じです。出演者にチケットノルマを買い取ってもらい、3組~5組の出演者が一晩のライブをする。チケットを買い取ったものの、集客ができずに自腹を切って演奏するものの客席はガラガラ。逆に言うと、集客できなくてもチケットを買い取れば出演は可能なので、店は損しない仕組みになっているようです。

コズミックカウボーイは、こういうシステムではなかったので、たくさんのミュージシャンの憩いの店になっていました。でも閉店に追い込まれたのも、それが原因であることは事実です。

コズミックカウボーイ閉店後、歌える場所を失った多くのミュージシャンが困ってました。「おっ!困ってる?こりゃお役に立たなきゃ!」商品SHIROWの声が頭に響きました。ミュージシャンには集客やチケットノルマの負担がなくて、歌う場所にもメリットがある。そんな仕組みが作れないのか?一生懸命考えました。

そんな時に、知り合いのバーの経営者の方から、定期的にイベントをやってお客さんに来てほしいけど、何をすればいいのか分からないとの相談を受けました。コズミック時代のミュージシャンと相談して、この店で毎月ライブを企画することになりました。とはいえ、音響機材もなにもない店です。もちろん、ギャラを払う余裕もありません。出演者が持ち寄ったガラクタのような音響機材で、定期ライブはスタートしました。少しずつお客さんも増えて、歌いたい人も増えてきました。

また、兵庫県立舞子公園の園長さんと話す機会がありました。舞子駅前や、舞子公園を活性化したいんだけど予算がないとの話でした。そこで、歌いたいミュージシャンを集めるので、駅前と舞子公園で自主ライブをさせてくれないか、お願いしたところ快諾いただきました。

さすがに、寄せ集めのガラクタ機材ではどうしようもないので、スポンサー集めを始めました。地元の美容室や居酒屋さんです。ステージで歌う時には宣伝させていただきます!!と、1万円ずつ出していただき、音響機材を揃えました。そうなると、音響機材持ち込み、ノーギャラで音楽イベントが出来る集団ということで、いろんな所から話をいただくようになりました。また、歌いたいミュージシャンもどんどん集まり、一時期200名を超える大所帯になりました。

この音楽集団に名前を付けました。神戸アマチュア・ミュージック・プロジェクト。略して「神戸AMP(こうべあんぷ)」です。

歌ってSHIROWの誕生です。

これだけのミュージシャンが集結するとすごいパワーになります。2000年の阪神淡路大震災5年目には、メモリアルCDを546枚リリースし売り上げを寄付させてもらったり、2011年東北の震災の時には、2000人ギター弾き語りを企画し、集まった募金でギターを買って被災地に届けたりしました。

特技は3つもあれば十分だった

歌うこと、しゃべること、ホームページを作ること。今でも、出来ることはたった3つだけです。55歳にもなって。

でも、困ってる人がいたら、この3つの中からでも役に立てることはいっぱいありました。もしかしたら、この3つを組み合わせるだけで、SHIROWにしか出来ないことがあるかもしれません。既に退職金も年金も宛当てにしていません。死ぬまで、「困ってる人のお役にたちたい」。これが、SHIROW流生涯現役ビジネスです。

※後編に続きます

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