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2年かけて大企業を辞め海外を旅して選んだ私の働き方〜4年でリモートワーカーになるまで

Text:岡田有加
編集:トイロハ・ワークス編集部

私は大企業を辞めてから紆余曲折を経て、今、フリーランスで仕事をしています。華々しくフリーランスで活躍されている方も大勢いらっしゃいますが、私のようにこっそりと、でも楽しく生きている者もいます、というお話です。少しでもお役に立てれば嬉しいです。

旅の準備〜まずは仕事を辞めました

会社を辞める時に一番言われた言葉は「もったいない」でした。次に多かったのが「勇気あるね」。

当時、私が勤めていたのは自動車部品メーカーのグローバル企業で、どこに行っても名の知られた会社でした。おかげさまでそれまでお金に困ることはなく、周りの言いたいことも親の心配も十分理解できました。でも、優先順位を熟考した結論なので、私にとっては必然でした。他の人は私の人生を代わってくれないですしね。あの頃は他人の言葉に迷い過ぎないように相田みつをさんの絵葉書をこっそり手帳に入れて持っていました(笑)。

「自分が自分にならないでだれが自分になる みつを」

そのときに優先したかったのは、「想定外の人生を送ること」、「好きな人たちと好きな仕事をすること」でした。とはいえ大きな会社ですから、辞めたら2度と入れないだろうし、絶対に後悔しないよう本当にこの会社でできないのか、選択肢を探し続けました。

当時意気投合した仲間で部署異動できないか提案しに行ってみたり、上司に出向の話も考えていただけたり。社内でも中枢の経営戦略の部署を訪ね、会社の方針を伺う機会がありました。幸か不幸か、どうやら私が見たい未来はここにはないんだ(涙)ということがわかり、それが決め手になりました。就職は結婚みたいなものですし、辛かったこともあった反面、好きなところもあったので辞めるにはたくさんの理由が必要だったんです。

ちなみに私は心配性なので、辞めることを検討し始めてから2年かけて退職しています。その間お金を貯めていたので自分としては計画的だったのに、同期の友達には次何するか決めてないと言ったら「はぁ?まじで!?考えられん」とずいぶん引かれたことを覚えています。その友達とは2年後くらいに私の生存確認のために一度飲みに行きましたが、やっぱり少し引き気味でした(笑)。いずれどう思っているのか詳しく聞いてみたいです。

まるで会社を辞めることを勧めてるように思われるといけないので付け加えると、会社を辞めることは「手段」であって、自分がどうありたいかの方が大事だと思います。12年勤める中で長いからこそできたこともたくさんあり、今の仕事にも全て繋がっていきました。

そういうわけで、選択肢の多すぎる世界に飛び出してしまいました。

旅の始まり〜選択肢の多すぎる大海へ

会社という孤島から大海へ出た私は、会社に就職することで社会に出ていたつもりが全くそうではなかったことを知ります。単に学校という島から、会社という島に移動しただけでした。とりわけ税金や保険の仕組みなんかはなんとも面倒で、ウェブで調べた計算式から自分で健康保険料を計算できなくて、こんなに複雑なのになぜだれも変えないんだろうと思いながら処理していました。

前述した通りビジョンはあってもこれと言って決め手になる職業がなかったので、「これは知っている中にはないな」と踏んで、手当たり次第気になることをやって、知っていることを増やすことにしました。

好奇心旺盛なので新しいことが苦ではありませんでしたが、この時期はプレッシャーもありました。周りにはのんきに見せつつも、やりたいことを探すいわゆる自分探しなので、本当に見つかるかいつも不安でした。在籍してた職場のカルチャーも手伝って、他人のやりたいことイコール自分のやりたいことにする日々が長く続いていたせいか、自分のやりたいことなんて考えた記憶がなく(無自覚に迷惑かけた方もたくさんいると思いますが)、好みの男性のタイプを聞かれてもよくわからない、その日食べたいものすら思いつかないというわりと重症な状態で、新しいことに楽しみはあれど水面下では苦しい時期だったと思います。

ただ、救いだったのは愚痴がなくなっていたことです。会社を辞めた途端愚痴が出なくなりました。それ以来、辞めるか続けるかのバロメータになっています。もちろん、愚痴が出ない生活は気に入っています。

体験に勝る情報はないと知った6ヶ国への旅

手相で海外流出線が出ているのに、海外出張もなく海外旅行が趣味というわけでもないのでずっと不思議に思っていましたが、手相って当たるんですね。この時、海外へ出たことが1つめの転機になりました。

シンガポールに始まり、中国、タイ、アメリカ、カナダ、ドイツと合計で6ヶ国に旅することで、日本人の海外への思い込みは都市伝説だとわかり、体験に勝る情報はないと学びました。

海外へ行ったことはあるもののこれまで自分で手配したことのない初心者マーク。心配性の私は、事前に英語に対するマインドセットをしてくれる「English Boot Camp」に行き、友人が住んでる英語圏のシンガポールに行ってみました。どんなマインドセットかというと、「正解例で言う必要はない、伝わればOK」「外国人が困っていたら早口で日本語を話すか?いや話さないよね」という、正解を目指しがちな日本人には目から鱗が10枚くらいこぼれる内容で、こぼれた鱗を落としたまま次の日にシンガポールへ行く便を取って正解でした。

シンガポールは中国系、マレー系、インド系などが共存する多人種国家で、「シングリッシュ」と呼ばれる独特のシンガポール英語を使います。日本人は「綺麗でない英語」を恥ずかしがりますが、現地の人と話してみて、やっとペラペラ話せない自分を恥ずかしく思う必要は全くないなと実感しました。おかげで、怯えながら出発したシンガポールへの旅も、死なずに楽しく帰って来れました。ただ、もっと詳しく知りたいことが言語の壁でわからないのが残念でした。

その後も中国の沙漠で植林してみたり、英語でタイ語を習ってみたり、カナダのナイアガラの滝が少しずつ削れているのをダムで調整していることを知ったり、日本には存在しない世界や地球のルールを体感していきました。

6ヶ国に行ってみてよくわかったのは、いい意味でも悪い意味でも日本だけ違うということでした。島国だからこそのガラパゴス。外国の人たちが初めてちょんまげスタイルを見たときはさぞかし驚いただろうと容易に想像できます。そして、日本人は有名です。いい意味で。どこに行ってもわりと優しくしてもらえました。

そしてこの時期、海外へ行くだけでなくもう一つ自分のためにしていたことがありました。自己啓発セミナーといいますか、自分を好きになるための自己肯定感を上げる活動です。「自分が自分の本心を聞く」というのは自分を安定させることにすごく役に立ちました。

これに特効薬はなくて、自分を否定してきた時間だけ長くかかるものかなぁと思います。自分が自分を信じられるまで根気よく「自分と約束したことを行動する」ことと、癖で「他人に共感を求めがちなのをやらない」ことが大事でした。自分も人に助けてもらいながらこれを改善するのに苦労したので、そういう人を見かけると手伝いたくなってしまいます(笑)。

職の旅〜語学とITと

会社を辞めてから1年後、そろそろインプットするのにも飽きたので働き始めました。向き不向きもわからないので、様々な職種に手を出してみました。運動の指導資格を取ったり、食品レジをやってみたり、お水の体験したり、占い師になろうとしてみたり、ビジネスセミナーへ行ってみたり。ですが、いくらやってみても「想定外の人生」はやってきませんでした。人にわかりやすいスキルか肩書きが足りないように感じ始めていました。そんな折に偶然見かけたのが「セブ島でIT×英語留学」のウェブ広告でした。

ご存知の方には蛇足になりますが、セブ島はフィリピンにあるリゾートの島です。フィリピン人は母国語とは別に小学校から英語で授業をするため、わりと誰とでも英語を使ってコミュニケーションが取れます。コールセンターがフィリピンにあるくらい英語で仕事をしている人口が増えていて、アジアからは北米やヨーロッパへ行くよりも安いこともあり、日本や韓国の語学学校が増えています。

と、調べると出てきました。なるほど、安価で留学に行けるのが利点と。また、IT留学はWeb制作コースかiPhoneアプリ開発コースがありました。

その頃はWeb制作の会社でディレクションのバイトをしていて、プログラミングが好きだと再認識していた時期です。海外へ行って以来英語でコミュニケーションできるようになりたいと思っていたし、おまけにコスパ良さそう、ということでバイト中もそのことが頭から離れず、3日後にコンタクトを取り、その10日後には決めて、その2ヶ月後にはフィリピンにいました。

ずっと組織の一部だったので、自分で作った作品が欲しくて、コンセプトからプロダクト製作、リリースまで1人で行えるiPhoneアプリ開発コースを選択しました。ちなみにその期間に作ったアプリはこちらです。

スキルを身につける旅

初めての海外生活、初めての留学、初めての寮生活、初めてのフィリピンの人たち、初めてのiPhoneアプリ開発、ぞして年下のクラスメイトたち。日本で想像していた数々の心配事をよそに、毎日、予想外のことばかり。

留学中はほとんど遊ばず、1日のうち3時間は日本語でITを学び、午後はフィリピン人講師と11での英語の授業を1時間×4回受け、寮に戻ってからはご飯食べて自習したりクラスメイトに教えたりという生活でした。週末も3回ほど出かけただけで、あとはカフェでずっと開発していました。(もったいないw

IT留学だったのでノートPCを持ってカフェで勉強するのですが、セブのカフェでは長居していても混んできても帰らせようなんて雰囲気醸さず店員は鼻歌を歌っているので気軽に利用していました。調べ物が多いのでインターネットが使えないと困るのですが、カフェの中ではWifiを使う人が増えてくると繋がらなくなり、店の人にリセットしてもらって難をしのぐというデジタルとアナログの狭間で、そのためには英語を使わねばいけません。まさに英語とITを同時に使える留学環境でした。綺麗な英語を求める人には街中の会話は物足りないと思いますが、スピーキングが不慣れな多くの日本人の1人としては発語のステップアップとして良かったと思います。

私は典型的な受験型英語力しか持っていなかったので、Writing、ReadingはそれなりでもSpeaking、Listeningはさっぱり。だいたい日本語でもそんな流暢に話せないのに。ですが、そんな私でも1週間ほどで先生の言っていることがなんとなくわかるようになり、また1週間経つともっとわかるようになっているし意思の疎通もできる。できることが増えると、人は夢を見るものだと知りました。

私がセブにいる間に知り合った人のうち、5人に2人は海外で働いたりインターンの経験がありました。先生たちが、「それいいじゃん、がんばりなよ」って本心で言ってくれるし、周りの同期も未来のために頑張っている素敵な環境で、私も海外で働くことが実現できるのではという気持ちも出てきてました。適切な環境で勉強すると、人生の選択肢範囲を拡げる素晴らしい機会になるのですね。

先生たちのことが大好きになり、自分の好きなものを女子高生のように共有したい!という気持ちに駆られ、星野源の歌の歌詞を先生に英訳して聞かせてみたら、Wow..I love it…wow…ものすごくノスタルジーを感じると好きになってくれたり、なんだか自分でもよくわからないことになっていました。留学ってきっとそういうものです。

そのスキルで海外で働くことに

卒業直前まで帰国してからの仕事はカフェのバイトしか決まってなかったところに、留学先でお声をかけていただき、なんとそこで講師として働くことになりました。海外に住み、フィリピン人が毎日周りにいる日々になるという想定外の事態です。他国の人と長く交流したのはもちろん初めてでしたが、日本語でもそんなにべらべら話せない自分にはフィリピン人はぴったりだったのではないかと思います。

フィリピン人は底抜けに元気です。音楽がかかれば踊るし(うまい)、こちらが時間に遅れてもIt’s OK! 一方、明るさだけでなく社会問題も真剣に考えていて、よく話し合いました。前日に弟が事故で病院に運ばれてナーバスになっている事態であっても、人前では明るく仕事はプロフェッショナル。今でも尊敬する同僚たちです。

住むにあたって驚いたエピソードをひとつ。セブではまだ不動産事業が整備されていないようで、新しく住む物件は自分で直接交渉してました。Google Mapsで検索したコンドミニアム(日本でいうマンションのようなもの)に行き、ガードマンに家を探していると伝えると部屋を見せてもらえる、という流れです。たまたまその時、駐車場にいた人が部屋を持っていて、「あの人オーナーだから部屋を見せてもらえ」と紹介してもらい、次の週には引っ越すことになりました。これは日本人の同僚から教えてもらった技で、セブ島は常識のデトックスに最高だと思いました。

文字や写真、動画で切り取られた形で海外を見ることと、360度海外の環境で、視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感、そして第六感すら使って感じることとは全く違いました。もし海外に行きたいという人がいたら、やらない理由を探すのではなくて、どんなことに気をつけて行くのかをアドバイスしようと思っています。

スキルをつける旅は、スキル以外の海外で生きる力も培ってくれました。

住む場所を自由に選べる働き方をこれからも

現在はエストニアという国で、セブで出会ったパートナーと一緒にリモートワークをしています。リモート(遠隔で)ワーク(働く)ということで、会社には行かず、その日居たい場所でインターネットを通じて仕事をしています。

私は2つの仕事を掛け持ちしていて、ひとつは株式会社BLAMの「リモート秘書」と、もひとつはフリーランスとしてセブ島仲間と「ホームページ制作プログラミング」の仕事をしています。パートナーは先輩フリーランスでもあるのでいろいろ教えてもらったり、お互いの得意分野を合わせて一緒に仕事をすることもあります。仕事が2つあるのは実は戦略で、「ホームページ制作プログラミング」は必ず収入があるわけではないので、「リモート秘書」の仕事をいわばベーシックインカムにしています。

リモートワークができるようになると、住む場所を制限されないことに気がつきました。今までは、会社の近くに住むのが当たり前だったのに。ならば、家を世界中から選択してみようと思い、いくつかの場所に1ヶ月以上滞在する生活を送っています。地元の愛知県以外に住んでみたのは、東京、千葉、セブ、タイ、エストニアです。今はAirbnbもあるし、SIMも現地で安く買えるし、Google翻訳で訳せば文字もわかるし、飛行機も日にちを選べばお値打ちな金額で行けて死ぬことはないようです。

今いるエストニアはIT国家と言われていて、国のシステムが高い技術力でIT化されているということで興味が出て来たのですが、思っていたより寒く、春なのに冬服を着ています。日照時間も夜の10時まで明るく、3週間目に入ってもなんだか慣れません。暗くならないので永遠に仕事してしまいます。見るもの全てデザイン性が高く機能的かつおしゃれですし、日本と違い街中の広告ですら景観を損なわず、とてものんびりできます。ただし、のんびりしすぎてしまうのも私たちのライフスタイルには合わないかもしれないな~と感じているところです。実際に住んでみて分かること、それも大事だと思っています。

デジタルノマドの生活を送る人が世界的に増えているらしく、フリーランスVISAというものが出てきているので、近い将来、住みやすさで国を選ぶ人も出てくるのではないかと思います。日本語は世界では通用しないのですが、他の言語を1つでも使えると組み合わせで選択肢はすごく広がっていきます。翻訳ソフトもいろいろあるとはいえ、使いものになるまでは勉強しておいても損はないと思うので、エストニアで見つけたオンラインサービスを利用しようかなと考えています。

この先はまだどうなるかわからないし、まるでスナフキンのような人には説明しにくい生活をしているのですが、仕事を辞めるときに希望していた、「想定外の人生を送ること」「好きな人たちと好きな仕事をすること」がいつの間にかできるようになっているので、毎日感謝しながら引き続き理想を追求していくつもりです。

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