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普通の会社員が「課外活動」で人生を豊かにする働き方

Text:米倉英俊
編集:トイロハ・ワークス編集部

最近、2枚目の名刺という言葉をよく聞くようになった。私も5種類の名刺を持っているが、現在動いているのはそのうちの3つ。本業である会社の名刺と、仙台市のコワーキングスペース「ソシラボ」の名刺、それに酒田市の一般社団法人「日本西海岸計画」の名刺だ。休眠中の名刺は無償無給の協創開発系の東北支社長の名刺と、昨年作った同じようなアイデアの具現化コミュニティの名刺。

本業はインテリア系、情報システム系、教育系の事業を行なう上場企業の会社員でインテリア系の事業部で営業をしている。今年で入社30年となり一度も転職をしたことがない普通の会社員だ。仕事には一生懸命に取り組んで対価を得て、妻と大学一年生の息子を養っている。

本業以外の活動が本業に直結するわけではないが、自分の中では「課外活動」と位置付けて動いている。学生時代の課外活動もそうだが成績表の点数や評価にはならない。しかし、課外活動も甲子園や国体に出れば違った見方をされるものである。つまり、関係ないけれども実は関係ある、といったところであろうか。普通の会社員がどうして課外活動に至ったのか?そして、今どのように考えているのか?そんな私の複線的働き方を書いてみた。

最初は乗り気ではなかった一人事務局

いろいろな人に会うのが営業職だが、一定期間を過ぎると同じ人とばかり会うようになる。外回りの営業なので、いつも新しい人と会うわけではない。同じ業界や同じ仕入れ先で、得意先やユーザーもそんなに変わらない。

入社後2~5年ぐらいすると異業種交流会というものに出かけたりした。違う業界の違う職種で違う世代の人と繋がりを持つことで、何かしら自分が成長できるのはないだろうかと考えたからで、営業目的で出かけた訳ではなかった。しかし、交流会で出会う人はほとんど営業目的であり、出会って数日のうちに加入の電話やメールが来る。何度か出かけるうちに自分の考える交流はできないと思って行かなくなった。

入社したてのころから大学関係や公共団体をユーザーとする得意先を担当することが多く、2007年からは福岡の九州大学の担当となった。その後、九州大学は福岡市の西部地区に全面移転することとなった。通常業務をそつなくこなしていた2010年のことだった。

九州大学を中心として、福岡県や金融機関、地場企業が協力して事業化や商品化、サービス化を生み出そうとする産学官連携の組織があった。その組織では月に一度、県庁の会議室で研究者や企業や起業家がプレゼンを行なっていた。ところが、県庁の会議室の使用が3月末までとなり発表会場がなく困り果てていた。

大阪支店の人のつながりから、福岡の会社の会議室を貸してほしいとの依頼があり、私がその担当となった。別にやりたいわけではなく、業務外のことでもあり乗り気ではなかった。しかし、九州大学の担当であり誰も手を挙げる人がいないので、会議室を貸す役目の事務局となった。私一人の事務局だ。

ところが携わってみると半クローズドな集まりであり、面白い興味深い人たちばかりの集まりだった。プレゼンをしたあとでブラッシュアップの突込みが多くあり、製品化するものもあったり、起業できる事業もあったり。会議が終わるとケータリングをとって、その場で飲み会が始まる。実はココが結構大事な時間であり、忌憚ないアドバイスが交わされる。

そのあと、コアメンバーや有志と反省会という二次会に入る。ここでも深い話が始まる。SNSやクラウドコンピューティングもこの会を通じて知ったのだが、案外、若いころに求めていた世界に出会ったような感じだった。

クラウドから「水曜どうしよう」、そして東北へ

そうこうしているところに、秋口にクラウドコンピューティングのイベントをするので共催して欲しいとの連絡が入った。3日間のイベントで会議室を貸してほしいというのだ。成り行き上、承諾して事務局側に参加した。その当時、クラウドコンピューティングという言葉も始まったばかりだった。

延べ500名ぐらいは集まったイベントだったが、会社からは私一人。他は福岡県の外郭団体のメンバーとIT系のフリーランスの方々ばかりが裏方となり、綱渡りの3日間だった。登壇者はアマゾン、グーグル、マイクロソフト、エバーノート、東急ハンズ等々、現在はメジャーとなっておられる方々ばかりで、エバーノートのCEOはシリコンバレーから来日された。そういえば、このイベントでドローンを初めて見た。貴重な体験をして、裏方の方々と反省会と称して何度も飲み語らった。

フリーランスの人たちが集まる場所を福岡県の外郭団体がアパートに一室をリノベーションして借りていて、毎週水曜日に「水曜どうしよう」という500円飲み会をしていましたので顔を出すようになった。年代が若いし、最先端技術を知っていて、業界も属性も全く違うので非常に楽しい時間だった。

年も明けて2011年3月11日、東日本大震災が起きた。当日は納品中で、たまたまネットニュースで地震のことを知って東京に住む家族にすぐに連絡を取り無事を確認した。金曜日で東京の自宅に帰る予定だったが飛行機は飛ばずに帰れなかった。

翌日にイベントに携わったメンバーが集まり緊急支援会議をした。チャリティーコンサートや募金、クラウドを使った医療健康情報の提供等々、遠隔地である福岡からできる限りのことを実行した。そして、その年の5月末に震災があった仙台に赴任するよう私に内示があった。

天命と受け止めた仙台への赴任

どうして私が指名されたのだろう?東京にはたくさん社員もいるし東北出身者もいる。生まれてこの方、一度も行ったことがないし、誰も友人も知り合いもいない仙台。家族は東京にいて単身赴任で福岡にいるところを、何故東京を通り越して仙台に?震災で大変なこともわかるし、復興の需要があることもわかる。大学や公共施設をユーザーとしていた長年の経験も買われたのかもしれない。でも、なぜ何百人もいる中で私が行くのだろうか?そんな疑問とともに会社への憤りを強く感じた。

しかし、冷静になって考えてみると、福岡から仲間たちと少しでも役に立つようにと震災支援をしていたし、被災地のことを何とかならないものかといつも考えていた。確かに業務命令での異動ではあるが、自分なりにこの異動、このタイミングを考えてみた。果たして、私に何ができるのだろう?私は何を求められているのだろう?と。

そして、この異動は天命だろうと自分なりに納得した。当時、小学生の息子に、私が行くことで悲しんだり苦しんだりしている人たちがきっと和やかになり笑顔になると言われて、更に天命であると確信した。

仙台に赴任してみると、福岡から見ていたものとは大きな違いがあった。もちろん、被災状況はマスコミで報道されない、あるいは報道できないものもあったが、私が一番憤りを覚えたのがボランティアグループやNPO団体の覇権争いだった。世界中から注目され、支援されて復興に向けて頑張っている人たちがいるのに、どの団体コミュニティが有名になるのか?有名になればどれぐらい補助金がもらえるのか?そんな汚い争いを垣間見た。

そこで私が出来ることは何か?考えたのはコミュニティ同士を繋ぐこと、横串を入れていくことだった。IT系の勉強会を中心に顔を出した。そして複数の勉強会やコミュニティのメンバーを誘って「夕飯どうしよう」というご飯を食べる会を作った。単身赴任である私がいつも夕飯どうしようと考えていることと、老若男女、誰しも夕飯は食べるということ、そして、食べることは生きることであり同じ時間を食べて過ごすことでコミュニケーションが図れるからだ。

最初の2回は私が幹事をしたが、仙台のお店も知らないので、毎回、幹事が次の幹事を指名するルールにした。また、参加したら次回はだれか友達や知り合いを連れてくるようにお願いした。ここでのポイントは同じ会社の人を連れてこないでほしいというルールだ。よくあることだが、4人席テーブルで3人もしくは4人が同じ会社だと会話が社内の話となり、ほかの人が話についていけないし面白くない。このような簡単なルールを作って夕飯を食べるコミュニティが動き出した。

コワーキングスペースの開設から広がる仕事領域

友が友を呼び、Facebookグループで300人を超えたところでコアメンバーと話し合って、みんなが集まれる場所を作ろうということになった。多目的&コワーキングスペース「ソシラボ」の誕生だ。名前はソシアルラボラトリの略で社会的な実験室という意味だ。何かしたいとき、誰かと出会いたいとき、そして実験的に試したいとき。そんな空間を考えて作った。家賃は地元のIT企業に負担してもらい、設備や什器は私の会社からと安い中古などで揃えた。

仙台でのコミュニティ活動によって本業への影響もあった。例えば(私の実績にはならなかったが)大手携帯会社の展示空間を指名受注した。また、市役所の知り合いがどうせ頼むならば私の会社にという事で新築のコミュニティセンターの必要備品を部下に命じてセレクトしてもらった。市役所では職員と仲良くなったので市役所庁内のファシリティ研究会に部外者にも関わらずに参加させてもらったり、産業振興課とこれからの仙台市を考える政策の思案メンターになったりした。

異動するまでは想像していなかったが、動いていくことで発見もあった。例えば、仙台に知り合いがいないけれども支援したい人や企業がある場合、私を起点としてもらうことで展開した。エバーノートの公開セミナーを「ソシラボ」と東北大学で同時開催したり、マイクロソフトの復興イベントの地元事務局をしたりと、忙しいけれども復興支援を側面からお手伝いした。

コワーキングスペースの企画と運営の実績を聞きつけて、山形県酒田市のコワーキングスペースを地方創生予算から申請して企画実行した。「アンダーバー」というスペースがそれで、東北公益文科大学内にある。

また、このコワーキング関係の動きを買われてコワーキングサミットにも登壇させて頂き全国の実践者との繋がりも出来た。面白いものでコワーキングからテレワークという関連で山形市にある東北芸術工科大学で特別講義もさせて頂いた。まさか、普通の会社員が大学で学生を前に90分の講義をするとは思いもしなかった。

地域のコミュニティから地場企業の育成を

2016年に5年間いた仙台を移動して現在は埼玉地域を担当している。今考えているのは地方創生と、首都圏の長時間の通勤ラッシュについてだ。東京からみると近郊とはいえ埼玉や千葉や神奈川は地方だ。どれぐらいの人達が通勤しているのだろう?同じ時間帯に冬場でも汗をかきながら満員電車で通勤している。ストレスも疲労も蓄積して、果たしてより良い仕事が出来るのだろうか?

自分で通勤しながら何とかならないかと考えてみた。首都圏と言われる三県の公共の遊休施設の利活用はどうだろう。学校やその他の施設をWIFI等を備え付けてリノベーションし、貸し会議室やシェアオフィス、コワーキングスペースにする。東京の大手町や丸の内の本社に出勤せずに地元の施設に通勤する。施設利用代金は東京のオフィスを縮小することと通勤定期代から賄える。

また、地元の企業や個人事業主にも利用してもらうことでコミュニティが発生する。そのコミュニティから協業の事業や新しい仕事、もしくは新会社が出来るかもしれない。これは地方創生の大きな軸になると思う。昔は地方に工業団地を造成して大手企業の工場を誘致していたが、今は中国に工場を出した方が企業にとって利益が上がる。また、工場は景気の動向で休業や廃止もある。

地方創生は少子高齢化する日本において深刻な問題だが、最初に手をつけないといけないのは観光や誘致ではなくて地場企業の育成だと思う。仕事があるから人が住み出す。これを現在担当している埼玉県で自治体や企業を訪問しながら、仙台での経験を語りながら進めているところだ。

何事も動いてみないとわからない。普通の会社員でも、真剣に動くことで多くの人々と縁をつなぎより豊かな人生を送ることが出来ると思う。人生の半分近くは仕事をしている。その仕事の少し先の課外活動に目を向けて動き出すと見える世界が変わる。仕事にもプラスに働くし、替え難い人脈や出来事を体験できる。より豊かな人生を送るために、まずは半歩踏み出す勇気を持つことをお勧めしたい。

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